2010年1月14日
くっていく方法
[ 休むに似たり ]
くっていく方法は多様で、正社員だけじゃないんだぜ。
...という考え方はいったん普及したのに、ここ最近はまた揺り戻しがきているように感じます。不況だからかな。大規模安定志向。JALがあんなんなってるのに、それでもやっぱり大規模安定志向。
わたしをふくめて
「雇ってもらう」
以外の考えがあたまにないひとが、大多数だからなんだろうなあ。そしていったん雇われの身になると、簡単に脱出できないんだよなあ。
とか思いながらお茶をすする木曜日の午後。
参考図書:
投稿者 こじま : 12:33
| コメント (0)
| トラックバック(0)
|
2010年1月12日
視点
最近気付いたのですが、
印刷業界では、印刷関連以外の業界を「発注者」と呼ぶらしい。
広告業界では、広告関連以外の業界を「広告主」と呼ぶらしい。
面白いなあと思う一方で、この呼称をごく普通に使っているのだとすると、呼んでる側の業界にとって危険な気がするぞ。
投稿者 こじま : 12:17
| コメント (0)
| トラックバック(0)
|
2010年1月 5日
デジタルに関するリテラシーについてぼんやり考えてみた
デジタル デバイドって言葉があります。情報格差と訳されることがありますね。
The term digital divide refers to the gap between people with effective access to digital and information technology and those with very limited or no access at all.
"デジタルデバイド"とは、デジタル・情報技術を十分に利用できる人々と、全くあるいは非常に限定した利用しかできない人々との間の格差のことである(こじまによる意訳)
最近twitterでの友人とのやりとりで、このデジタルデバイドっていろんなレベルでいろんなのがあるということに気付きました。
もともとこの言葉は、米国で、貧しくてPCも持っていない人々とそうでない人々との間にある格差を表す言葉としてできたようです。
しかし、PCを持っていてインターネットへの接続が出来る恵まれた環境にいる人々の間にも、ある種の格差があります。先に書いた友人とのやりとりは、ネット上の情報を取捨選択するリテラシーにまつわるものでした。ネット上の情報は控えめにいっても玉石混淆。これを選別できるリテラシーがあるひともいれば、ないひともいます(このリテラシーはネットに限らない部分が大きいですが、その話はここではおいておきます)。
こういうデジタル関連リテラシーの格差は、いろんなレベルのものがあります。
例えばパソコンを買う時。よく分からないまま、本来はいらないものをセットで買わされるケースは、それなりにあるのではないでしょうか。ネットブックとe-mobileの組み合わせ販売というのも、見た目の安さにつられてe-mobile不要の人が買ってしまっているのもありそうです。
買った後、使う段階でも格差が出てきます。ネット上の情報取捨選択もそのひとつですね。
他にもたとえば、エクセルの使い方を覚えたひとが、本来エクセルに向いていないことまでエクセルでやってしまうというのをよく見かけます。エクセル以外に向いている道具があることを知らない、あるいは、向いている道具の敷居が高すぎるなどの理由があるでしょう。「なんでもエクセル症候群」と名付けています(勝手に)。
PCが使える環境までそろっていても、その先にはリテラシーによる格差がいろいろあるんだと、改めて認識しています。
そして、曲がりなりにもソフトウェア技術屋である私は、こういう格差の解消に役立てることがないか、常に意識のどこかにおいておくべきなんだろうな。
しばらく前から「なんでもエクセル症候群」の一角を切り崩すことを考えています。近々、それに関することをここに書くかも知れません。
投稿者 こじま : 23:20
| コメント (0)
| トラックバック(0)
|
2009年9月29日
mixiのボイスとtwitter
mixiのボイスをみて「これオレは嫌い、同じようなサービスのtwitterも嫌い」と思われる方がいるようなので、お節介なエントリを書いてみます。や、twitter嫌い、ってのを否定するつもりはなくて、ただmixiのボイスと同一視するのはちょっとちがうんじゃないか、ってことです。
もし、あなたが興味を持っているひと・尊敬しているひと、がtwitterをやっているなら、twitterのアカウントをつくって、まずはそのひとをfollowしてみてはいかがでしょう。使ってみていると、mixiのボイスとどう違うのか、どう面白いのかが、身をもってだんだん分かってくると思います。
以上。
...これだけではなんなので、mixiのボイスとtwitterが、どのように違うのか考えてみました。
このふたつは表面的には似ていますが、全くの別物です。違いを列挙してみます。
- ボイスはマイミクのものが表示される。twitterは自分がfollowしたひとのものが表示される。follow関係は一方通行、マイミク関係は双方向。
- ボイスはmixiにログインすると表示される。twitterは、twitterをみよう! と思わなければ目に入らない。
- twitterはAPIが公開されているので、専用クライアントや連携サービスがいろいろある。
- twitterはtwitterのアカウントがあればつぶやける。なので、情報提供を目的としたtwitterアカウントがいろいろある(天気予報、新製品情報、ブログの更新情報 etc)。mixiでは規約上そんなアカウントは作れない。
- twitterでは、follower/followee関係になくても、返信や引用ができる。そのとき、返信・引用された側はすぐ気付くことができる。ボイスではマイミクじゃないとそもそもコミュニケーションできない。
- twitterには「ハッシュタグ」という概念がある。ユーザが自主的に「ハッシュタグ」をつけることで、つぶやきの緩いグルーピングができる。
ユーザ同士の結合のしかたが異なること、そしてmixiの「ユーザ」とtwitterの「アカウント」は似ているようでだいぶ違うこと、この2点が、mixiのボイスとtwitterの性質を異なるものにしています。
twitterにはこれまでに培われてきた使われ方のパターン・APIがあることによる専用クライアント・自動まとめサイトなどの資産があるが、mixiのボイスにはそれがない、という環境の違いもあります。
mixiのボイスはマイミクのつぶやきをきいて、それに返事をするという、マイミクとのコミュニケーションツールですが、twitterは多様な使われ方がされています。twitterによってRSSは死んだ、といっているひともいます(わたしは完全には同意しませんが)。わたしはソーシャルブックマーク代わりに、twitterを使い始めてもいいかと思っています。そして、ブックマーク代わりにtwitterを使っているひとをフォローすることで、興味あるwebページを発見しています。
twitterには確かに、単なる状況報告のつぶやきも多いのですが(それはわたしのtweetだ)、わたしには心地よい程度のS/N比です。自分が選んでfollowしているひとだしね。
投稿者 こじま : 12:33
| コメント (4)
| トラックバック(0)
|
2009年8月21日
理想
[ 休むに似たり ]
たいへん青臭い話題です。
理想には自分がどうなりたい、っていう理想と、世の中かくあるべし、って理想があります。もちろんきっぱり線引きできるものじゃありませんが。
わたしの、世の中に対する理想は
すべてのひとが、違いを尊重し、多様性が善とされる世界
です。
が、これ具体的に考えると難しいんです。みんな仲良く、という話じゃないです。受け入れがたい意見でも受け入れろ、という話でもないです。嫌いなものは嫌い、といえるのも重要。そうしないと多様じゃなくなっちゃうから。
今わたしが考えつくもっともまともな説明は、『「空気読めない」とか「キモい」とかに代表される、「我々と違う」ということ「だけ」を理由に、否定し排斥する考え方や態度が世の中からなくなること』、でしょうか。
が、こう考えると
「空気読めないやつは嫌い」という考え方を尊重しない
という帰結につながり、形式的にかつ素朴に考えている限りは、簡単に矛盾にいきついてしまうのです。
だからこの考え方は根本的に間違っている、とは思っていなくて、表現の仕方の問題ではないかとも思っています。
この話題つづくかもしれません。忘れた頃に。
(自分用メモ。思いつくキーワード: ラベリング、思考停止、少数派と多数派)
投稿者 こじま : 12:36
| コメント (0)
| トラックバック(0)
|



